パタリと止まったまま――。
海外から日本にやって来る人も、日本から海外に行く人も、動かなくなってしまった。2021年3月のデータを見ると、訪日外国人数は前年同月比93.6%減、日本人出国者数は同89.4%減である。新型コロナウイルスの感染が広がったことで、暗くて長いトンネルから抜け出せないでいるが、出口からようやく明かりが差し込んできたようである。
いや、表現が違うかもしれない。真っ暗闇の中で小さな小さな明かりがともって、その数が増えている。そんな感じで、新しい市場が生まれようとしているのだ。その明かりとは「オンラインツアー」のことである。
「いやいやいや、旅行はやっぱリアルでしょ」と思われたかもしれないが、新たな鉱脈を見つけ出すために、旅行会社を中心に「ウチもウチも」といった具合に、参入が続いているのだ。JTB、近畿日本ツーリスト、阪急交通社、ANAトラベラーズ、日本航空など、多くの会社が手掛けているわけだが、筆者が気になっているサービスがある。HISの「オンライン体験ツアー」だ。
5月21日現在、HISのオンラインツアー体験者は計8万人を超えている。ツアーは1240コース用意していて、「年内には2000コースにしたい」(同社)とのこと。料金は数百円からなんと5万円を超えるものまであるが、多いのは2000~4000円で60~90分のコースだ。
お客からツアーの申し込みが届くと、アクセス方法を記したメールを送る。当日はオンライン会議ツール「Zoom」を使って、現地ガイドが街を歩きながら案内する。観光地などを見て、「はい、おしまい」といった形ではなく、ガイドが映像を配信しつつ解説するので、臨場感のあるコンテンツとなっているのだ。また、チャット機能を使って質問を受け付け、その場で回答しているので、“双方向性”を提供していることも人気の秘けつのようだ。
●どんどんやってみた
HISのオンラインツアーが始まったのは、2020年4月のこと。新型コロナの感染が広がって、ビジネスの世界でも「Zoom」を使う人が増え始めたころに、どうやってこのサービスをスタートしたのだろうか。
同サービスを発案したオンラインエクスペリエンス本部の八幡正昭さんに聞いたところ「新型コロナの感染が広がって、海外へ行けない状況になりました。なんとかしなければいけないということで、『とりあえずオンラインツアーをやってみよう!』といった話になりまして。まずは、レクチャー形式のツアーを無料で始めました」とのこと。
録画済みの映像や写真などをバーチャル背景に入れ込み、参加者に見せながら説明する。現地に足を運べない状況だったので、レクチャー形式を選択したわけだが、4~5月の間に約6000人が参加。準備期間が短く、試験的に始めたこともあって「数百人が参加すればいいかな」(八幡さん)と思っていたそうだが、想定以上の結果に。
「前例はないけれど、ビジネスとしてやっていけるのではないか」と考え、20年6月以降は有料化に踏み切る。しかし、である。未知の世界でもあるので、お客がどんなコンテンツを好むのかよく分からなかったのだ。そこで、プロジェクトチームはどんな手を打ったのか。とにかく、どんどんやってみる。そして、お客の反応を見る作戦に出たのだ。
ツアーは基本、2人で行う。ガイド1人、MC1人である。スタート時は慣れないこともあって、うまくいかないことも。しかし、「この光景に対して、カメラはこのアングルで」「ガイドだけがしゃべるのではなく、MCと掛け合いで」「飽きさせないためにクイズ形式を導入しよう」といった具合に、参加者が楽しめるような工夫を少しずつ増やしていく。
どんどんやってみて、見直すべきところは改善する。PDCAを回すことで、クオリティーをアップさせていったわけだが、ガイドとMCの姿を見ていると、まるでユーチューバーのように見えてくるし、テレビ番組のようにも見えてくる。考えてみると、現地スタッフはテレビ番組でいうところの“中継”を行っていて、ひょっとしたら、そっち方面でも活躍できるのでは? と感じるほど、時間内にうまくまとめるのだ。事実、参加者のコメント欄を見ると、多くのツアーで「五つ星」(満足度が非常に高い)がキラーンと輝いている。
●人気ツアーにびっくり
オンラインツアーをやってみて、どんなツアーが人気を集めているのか。参加人数が最も多いのは「世界一周シリーズ」(2500円~)である。それぞれの国が一番美しく感じられる時間帯を結び、リアルの旅行だと10日ほどかかる日程を90分で巡れるようにした。
ふむふむ、このツアーが一番人気なのは、なんとなく理解できる。仕事で疲れているときに、缶コーヒーを手に持ちながら「いつかは世界一周をしたいなあ」なんて考えたことがある人もいるはず。ハワイで夕焼けを見たい、イタリアでパスタを食べたい、ケニアで野生動物に触れあいたい――。オンラインの世界ではあるものの、そうした国々に行った気分になれるので、ついついポチってしまう人も多いのかもしれない。
個人的にびっくりしたのは、2位にランクインしていた「インドの有名占い師ラブ氏によるオンライン占星術&手相占い」(4050円~)である。インドを旅行する目的として、「占ってもらいたいんだよねえ、ラブさんに」といった話は聞いたことがない。にもかかわらず、オンラインツアーでは堂々の2位である。
4位にも驚いた。「ケニア・ナイロビ国立公園サファリライブツアー」(3936円~)である。日本語ペラペラのケニア人・フレッドさんがガイドを担当していて、参加者からは「フレッドさんのガイドは最高! 彼がガイドをしているツアーがほかにあれば、教えてほしい」といった声がたくさん届くそうだ。
ところで、2位と4位には共通点がある。それは、リアルのツアーにはない企画がウケていることだ。同社の広報に「占い付きのインド旅行」「フレッドさんが語るケニアツアー」といった商品があるのですか? と聞いたところ「ないです!」ときっぱり。ということは、海外旅行を自由に楽しめるようになったら、現地で有名な人に占ってもらったり、フレッドさんのような人気ガイドに案内してもらったり、ネットで話題になった内容をリアルツアーに盛り込めばウケるかもしれない。
つまり、オンラインツアーを利用する人にとっては、“予習”として現地を知ることができ、旅行会社にとっては“マーケティングツール”として使うことができるのではないか。これまでになかった情報がどんどんたまっていくので、「これもできるのではないか」「あれもやったらおもしろいかも」といった具合に、企画がどんどん生まれてくるのではないか。そのように感じたのである。
●コンテンツをつくる“旅”
オンラインツアーについて、HISはこのような目標を掲げている。「年内に体験者30万人、ツアーは2000コース」。このままのペースでいけば、実現可能のようにも感じるが、事業環境はどうなっているのだろうか。
サービスを始めたときには、リスクを恐れずにチャレンジしたので、いわば“ファーストペンギン”の存在だったわけだが、いまは違う。その後、「オレもオレも」「ワタシもワタシも」といった感じで参入が続いたので、市場はあっという間にレッドオーシャン(競争の激しい市場のこと)になってしまった。冒頭で紹介したように大手旅行会社だけでなく、例えば、凸版印刷のグループ会社が手掛けるなど、このビジネスは参入障壁が低い。
海外に目を向けても、ケタ違いのメガ企業が市場制圧に向けて動き始めている。例えば、アマゾン。バーチャルツアーを体験できる「アマゾン・エクスプローラー(Amazon Explore)」を立ち上げたほか、エアビーアンドビーやトリップアドバイザーなども参入している。
さらに、トラベルズー・ジャパンはオンラインツアーを検索できる「ONTABI(オンタビ)」を始めたので、サービス提供者側にとっては「その中から選ばれるようなモノを用意しなければいけなくなった」のだ。
なにもないところから芽が出て、まだ1年しか経っていないのに――。今後、大きく育てるために、各社は何をしなければいけないのか。利用者を飽きさせないために、コンテンツをつくる“旅”を続けなければいけない。
(土肥義則)
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